Chris::Blog〜クリスの日常〜
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約束の刻
日付が、変わった。
今はもう8月31日。
いよいよお別れの時がやってきてしまった……。

既にお知らせした通り、私がこうやって皆さんに語りかけるのは、
本日、この時が最後になる。
非常に名残惜しいが、熟考の末に決めたこと。
どうかご理解いただきたい。

ただ、このブログそのものはしばらく残しておく予定だ。
Webにとどめられた言葉たちがいつか誰かの役に立ってほしい。
そう願ってのことだ。

これは、これから先ここにたどり着く未来の来訪者の為だけではない。
既に私の文章をあらかた読んでくれている方にとっても、
これまでとは違った“何か”を与える可能性があるのだ。
たとえ新たなメッセージが加えられることがないとしても。

文章とは不思議なもので、受け手によってまったく印象が違ってくる。
それどころか、同じ受け手がさまざまな経験や感情を重ねることで
同じ文章から受け取るものが変化していく……。

だから。
今あるこの文章たちが、きっと未来のあなたの役に立つことがあるはず。
そう信じて、電子の海の片隅に置手紙を置いていきたいと思う。

あなたと私の出会いを生んだ奇跡。
その力が衰えていなければ、再びどこかで出会うこともあるだろう。
来るべきその時まで、ひと時のさよならを。
2006年08月31日(木)00:10

わらべ唄
わらべ唄というのは、どうしてああも不気味な感じがするのだろう?
それでいて人の心を掴んで離さない何かがある。
「かごめかごめ」然り、「とおりゃんせ」然りだ。

何故そんなことを言い出すかといえば、
スタッフの引越し先の地方に、
「かごめかごめ」発祥の地といわれる神社があると聞いたからだ。
「とおりゃんせ」発祥の地といわれる神社なら訪れたことがあるが、
「かごめかごめ」はまだだった。是非一度訪れたいと思う。

それはさておき。

そもそもわらべ唄とは、
昔から子供に歌いつがれてきた歌、
または、子供に歌って聞かせる歌を言う。
遊びの中で自然発生したとも、
親が子供をしつけるために生まれたとも言われる。

しかし、遥か昔は「わざうた(童謡)」といって、
神が子供の口を借りて社会風刺や
災いの予兆を歌わせるものと考えられていた。

それは、単に子供達が大人達の言葉や会話を
訳もわからず歌っただけかもしれない。
しかし、昔「7歳までは神様のもの」と言われたように、
子供というのは大人にはない感受性・感応力がある。
神の言葉か身の回りの空気かはわからないが、
何かを子供達は敏感に感じ取り、広めていったのだろう。

人は大人になると、ある意味鈍感になっていく。
幽霊も柳の木に見えるようになり、
広い意味での不思議な体験をしなくなる。
不思議と驚きに満ちたこの世界を自分の基準で定義し、
知識として蓄え、“現実”として支配下に置くようになる。

一方わらべ唄というのは、生々しい現実と
子供達が属する世界とのはざ間から生まれる。
それゆえ、その不思議な旋律を大人が口ずさむと、
現し世と幽り世の境界に引き込まれそうになるのではないか。
それこそが、わらべ唄を不気味と感じるゆえんなのかもしれない。
2006年08月30日(水)21:36

恋にまつわる怖い話
昨晩は更新せず失礼した。
原稿は書き終わったのだが、急な来客があり、
更新するのをすっかり失念してしまっていた。
せっかくなので、今日は午前と午後の2回更新しようと思う。

さて、先日友人と飲んだときのこと。
このブログでもいくつか紹介してきたが、
私は時々、不思議な……ちょっと怖い体験をすることがある。
そのときもそんな話をしていたら、
友人が「俺も最近怖い体験をした」というのである。

彼が仕事で出張に行ったときのこと。
同行した先輩の男性社員と、
そこでお世話になった先方の女性スタッフと、
その女性スタッフが呼んだ別の女性スタッフと、
4人で飲むことになったそうだ。

まるで合コンのようだが、
あくまで仕事の延長上での親睦会。
適当に話を合わせながら飲み食いし、
二次会をするでもなく別れたという。

ところが翌日、直接お世話になった方の女性スタッフから
「今度映画でも見に行きませんか」
とメールが来ていた。
その日は会議続きなので、とりあえず返事をせず電源を切った。
夜、やっと仕事から解放されて電源を入れてみると、
なんと一時間ごとに、二桁にもなるメールが届いていた!

「返事を下さい。待ってます。」と催促する内容から
「なんで返事をくれないんですか。」という怒りのメールへ。
「どうせ私なんか……」と自分を卑下し出したかと思うと、
最後は「もういいです!」と自己完結していた。

友人はギョッとしたが、最後は「もういい」と書いてあったので
ひとまず安心したそうだ。ところが翌日、
「やっぱりメールするのを止められません。」
とふたたびメールが来た。しかも
「無視され続けるなら、死んでしまいたいです。」
などと送られてくるようになったそうだ。

その女性と何かあったのではないか、
少なくとも誤解させるようなことをしたのではないかと
友人を問い詰めてみたが、
その日が初対面で、仕事でも事務的な話しかしておらず、
飲み会も正直盛り上がらなかったという。
おまけにその女性は結婚していて子供もいるはずだし、
なんでそんな話になったのか全くわからない、と言うのだ。

その話が本当なら、確かにどうしてそんな展開になるのか不思議だ。
大抵の場合、誤解が生まれるような何かがあるものなのだが……。
あるいは、本人がまったく意識できないようなところに反応されてしまったのか?

いずれにせよ、ちょっとした誤解だとかカン違いだというには、少々ズレが大きいようだ。
日本語は通じても、ここまで話が通じないものだろうか?
そんなコミュニケーションの断絶こそ、私は怖いと思ってしまったよ。
2006年08月30日(水)11:17


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